平成二十九年四月の新年度に入って、改めて仕組みの会の先行きに思いをはせる時、前方には素晴らしい展望が開かれてきているのを確認することができる。
今年の標語のようなお年のお言葉「思案と実践」という意味内容から見ると、ふさわしくないように思われるかもしれないが、仕組みの現実から見ると、その成果は目を見張るものがある。
それは常闇はじめ宇宙の活動が思いがけないほど大きくなっていて、そのことが思案と実践の枠を超えてしまっているように思われるからである。
それは出現時には想像すら出来なかったもので、当初の疑い、つまりはたして本当の発生の源の宇宙なのかどうか、その疑いの確認をすることに忙しかった時期が過ぎて、今はその常闇はじめ宇宙の受け持ちの時空の広がりが、想像を絶するものになってきているからでもある。
三月の月例会でも話しておいたように、常闇はじめ宇宙は出現時のよたよた歩きを二月の末頃に終え、少し休んで三月に入ると急に表の世界である五台領域を昇り始め、あっと言う間にその行程を終え、さらには六台の完成宇宙領域の行程を二週間ほどで終えてしまった。
その驚異的な速さは偽物の動きではないかとも疑われてしまうのであるが、その影響力から見ると本物としか思えない強さがある。
今では太陽系のレベルを超えて七台に上がってしまっている。その動きは無源回帰する普通のはじめ宇宙と同様の動きではあるが、その中身がまったく違う。
だいたい仕組みの中心基地である太陽系に彼らの使者を十神界調整にして送り込んできていたことからも、その特殊性がうかがわれるのであるが、旧体制の機械無源から狙われる度合いがほかの宇宙とは段違いに大きいのである。
その活動は今後の仕組みの発展から見ると素晴らしいことではあるのだけれども、問題はそのことよりも地球の仕組みの流れが神賢者コースにあるところにあって、むしろこちらのほうに思案と実践の色合いの濃いものがあるように思われる。
神賢者というのは科学者が捨てた身体の抜け殻で、それを管理システムが仕組み潰しの被り物として使っている。その働きは想像以上に大きくて、これからの仕組みにとっては危険極まりないものとなってきている。
せっかく求道で自己確立しても、その被り物をかぶせられて中身を食い潰されてしまうとしたら、仕組みなどひとたまりのないものとなってしまう。
過去の宇宙や周辺の宇宙にはそうして潰されてしまった仕組みメンバーや宇宙がたくさんあって、常闇はじめ宇宙にもその背後に機械無源のその影が常につきまとっている。
そうした状況の中で仕組みの会の活動は続けられているのであるが、今年はそこらあたりの見極めを確かなものにする必要があるように思われる。
偽科学者と甘く見ていると、恐ろしい迷路に導かれてしまう恐れがあって、その危険性は並大抵のものではないような状況になってきている。
一歩先は闇であるという自覚を持って注意深く進まなければ、こなせない難題が前に広がっていることが、思案と実践の標語の中には隠されているのかもしれない。
この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。