仕組みは我々の世界をはるかに超えて、今ではまったく違う領域にまで拡大しているが、そういう仕事をなぜ我々がしなければならないのか、そうした疑問にぶちあたらざるをえない。
自分達の世界のことだけでも大変なのに、よその世界のことにまでかかわらなくてはならない。
ケリのつくことであるならまだしも、どこまで行っても終わらないといった不条理なものであるとしたら、そういう疑問も当然のものとして立ち塞がってくることになる。
独立したたくさんの世界が存在していて、それぞれが自由にその世界を生きているということであれば、それはそれでまた別の考え方になるのだろうが、
すべての世界が繋がっているとなると、問題はまったく別のものとなってくる。
ケジメがつかないままどんどん広がっていくことになり、果ての無い領域へと拡大していくしかなくなってくる。
時間も空間もなくなってしまう世界へと突き進んでいくしかないようなのである。
旧体制の機械宇宙は五千億種類の同じ世界を限りなく写すようにして広げていき、それを何層にもして拡大し続けている。
もはや発生の源はないとされており、屋上屋を重ねるしか広げることができなくなって、生き終えた廃墟の上に何重もの同じ世界を積み上げ続けている。
我々はその後始末をし始めて、手に負えない領域にまで突き進んでしまっているが、今更やめることもできなくなって現在に至っている。
五台六台七台と基本的には三重になっている領域を、大きく纏め上げて源まで到達するところまで行き着いているにもかかわらず、
そこが安住の地とはならず、さらに上に外に拡大し続けなくてはならないのが旧体制宇宙のようなのである。
行き着いた源からさらに上に向かって広がって二層目を構成している世界も、形は基本的には変わらないものであるが、下に廃墟があるためかエネルギーが荒れている。
我々の仕組みはその二層目をあっという間に通り抜けて、既に三層目まで拡大し続けている。
もちろん大掃除が基本であるけれども、上層領域ではまともな世界を生きることなく機械に食い潰されており、それを立て直す作業も必要となっている。
改めて正しい自然の世界を生き直してもらいながら、本来の発生の源へと導かなくてはならないのである。
三層目まで至ると、もはや自然の世界はなくなっていて、機械の世界があるだけのようでもあり、何か勝手が違ってきている。
バーチャルの仮想世界が広がっているだけのようなのである。
自然などなくなって、ただ機械エネルギーの中で何かがうごめいている、そんな世界のようなのである。
本体があって、仮想世界のアバターに成り代わって生きる面白さ、それが現段階の地球科学の機械の世界であるが、三層目まで行くと、本体とアバターの区別がつかなくなっているらしい。
要するに同化してしまっているらしいのである。そしてそこにはもはや自然の世界はなくなっている。
これから先どうなっていくのかはわからないが、現段階では上あるいは外で生きている機械世界のメンバー達に、自然の世界を経験させなければならなくなっており、その作業が延々と続けられている。
この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。