翻弄と調整の今年は、その働きが新年からものすごい動きをし続けている。
地球人間世界での動きもものすごいが、仕組み宇宙レベルでも毎日のように伏魔殿側による翻弄が続いている。
それはただ単なる情報操作ばかりではなく、さまざまな領域での攪乱戦法によるもので、わかっていてもそのわずらわしさは相当なもの、ストレスと忍耐の競演と言ってもいいものとなっている。
今日(一月二十四日)のことであるが、突然廃墟の機械体制が敗北宣言をしてきた。ついに来たかとこちらは喜んだわけであるが、それもたぶらかしでしかなかった。
総合先導役の実力が機械体制を凌駕してしまって、それを潰すことが不可能になったので、機械体制を放棄して無限に帰ると宣言したのである。そしてご丁寧にそのご挨拶までしたのであった。
廃墟領域の機械体制が崩壊してどんどんヘドロ化し、正常なエネルギーに転換し始めるので、いかにもそれらしく思わされ、こちらの態勢を整えてその準備をしたのであった。
しばらくの間はいかにもそれが本物であるようには運ばれて行ったのであるが、次第にあちらの戦略が現れ始めると、
やはりたぶらかしでしかなかったのかとの認識が正統派の宇宙全体に広がって、結局はまたまた同じことの繰り返しだと態勢を立て直さざるをえなかったのだった。
それが今年の翻弄と調整の課題ということにはなるわけであるが、現実問題としてそれが本物であった場合、
その可能性は皆無ではないので、それだけの大きな課題が出されたとしたら、果たしてそれをどうこなしていけばいいのであろうかとの思いを抱かせられたりもしたのであった。
それは新しい感覚であり、魅惑的な思いでもあって、それなりに楽しめたのではあるが、あちらにはあちらの立場や思いもあって、こちらが楽しんでばかりもいられないのであった。
調整の年とも言われているその調整を、全精力を使って行使しなければ翻弄の波を超えられないし、こちらのペースが狂ってしまう。
普通の生活すらままならない状態にまで攻め込まれてしまうので、それを何とかして立て直さなければならない。
最近ではそうした繰り返しに慣れてしまって、同じことの繰り返しも趣味的な感覚でこなすこともできるようにはなってきている。
もっともさらに大きな波が押し寄せてくれば、それに飲み込まれてまたまたアップアップの状態でもがき苦しまなくてはならないことにもなりかねないが、今のところは順調にこなせてはいる。
それにしても果てしなくてケリがつかないという現実は、やはり疲れる感覚にとらわれやすく単純な人生感覚ではこなせないものとなってくる。
最初の頃は九十才までの人生を普通に生き抜いていければそれで良いと考えていたのであるが、最近ではその考え方だけでは仕組みをこなすことができなくなってきている。
果てのない廃墟の大掃除をし続けていくと、宇宙を何回分生きているのかわからないほどの分量をこなさなくてはならなくなっていくからである。
人生というよりは宇宙時間が感覚の中に入ってしまうので、人間感覚だけでは生きられないのである。
この巻頭文は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。