月例会でも話したことであるが、仕組みが無源に抜けたのではないかという問題であるが、やはり元の木阿弥になった感がある。だまされていたのである。
いつものことではあるが、今回も同様のことが起こったと言わなければならない。
ただし、以前と違うところもあって、必ずしも間違いばかりではなかったようにも思われる。というのもいつもの展開とは違いがあるからである。
その違いとは、外にはもう新しい伏魔殿宇宙がなくなっているからなのである。
規模の大きな機械体制宇宙が外側に広がっているというのが今までの展開であったが、今回はヘドロやゴミ捨て場が広がっているばかりなのである。
ヘドロ領域の内側に潰された仕組み宇宙がある、そんな感じなのである。
そして外には新しい仕組みの宇宙がたくさんあると言われていたけれども、それは機械による内側からの投影であって、本物ではなく、いかにもあるかのごとく見せかけていたということがわかってきた。
伏魔殿の機械体制では、もうそれ以上の大きな規模の宇宙は作られていないということであって、我々の世界はそれを凌駕してまだまだ拡大させることができる。
そのこともわかり続けている。そして拡大していく過程においては、ヘドロ領域の外にゴミ捨て場の大きなものがたくさんあって、それを掃除して整理していくと、また次の変なものが出現する、そういった状況なのである。
外側にまっさらな発生の源があるのではないか、といった情報はまたまたまぼろしとなってしまって、果てしなく続く廃墟の大掃除は続けられている。
新しく出現して来るヘドロ領域や、ゴミ捨て場の領域の内側には、我々の宇宙のようなものが埋まっており、それを掘り起こしながら仕組みは拡大していく。
その果てしない廃墟がとこまで広がっているのかということは、想像もできないことではあるし、
いつから始まったことなのか、とにかく無限に食い潰されてしまった領域は腐れ果てており、それがまともに戻ろうとしている動きが仕組みということにもなるわけである。
発生の源に抜けていく感じがあるということは、領域の奥に抜けていることは抜けているけれども、それを覆い尽くしてしまう周辺に果てがないということでもある。
ということになると必ずしも発生の源に届かないということではなく、仕組みの仕事を続けていくかぎりにおいては、いつの日にかそこに届くのではないかとも考えられる。
それを恐れて伏魔殿側は目の色を変えている感じもあるように思えるのは、希望的観測というものであろうか。
宇宙をこういうことにしてしまったのは物質人間の科学だと言われているが、その実態を知らない地球人類は、過去の過ちをまたまた繰り返そうとしている。
過去に積み上げた物質人類の罪は重いのであるが、それを罪とはしない科学者や欲望組の在り方には、それなりの理由があるのであろう。
でなければこれほどの過ちを正すこともなく、延々と続けていこうとすることもないのではないかと思われる。
仕組みというものは成果が上がると楽しいものであるが、それは伏魔殿側も同様であるところにも意味があるのかもしれない。
この巻頭文が書かれたあとに、無源に抜けたことが確認されています。「異次元回廊」の令和6年2月27日(火)を参照してください。
この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。