02.求道のあかし

求道のあかし 令和5年8月1日

かけまくも
富士山頂き仰ぎ見て
仕組みの会の皆さまそれぞれが
目指します場を定められました
富士登山の集い
ご同行致しましたご挨拶
謹みまして申し上げます
オオクニヌシ大神でございます

自己浄化重ねつつ
さらなります展開目指されましての自己研鑽
まことに高き修養と認識致しまして
お一人お一人目指さるる道開き
続けられますを祈念致しまして
ご同行致しました
ご挨拶申し上げます

仕組みの会御

オオクニヌシ大神

令和五年七月二十三日


富士山の登山の集いに参加された方はご苦労様でした。

前段階は相当厳しい試練が襲い掛かってきている感じであったが、それを乗り越えて取り組んだ方々にとっては、それなりに手応えのあったものだったように思われる。

仕組みの試練とはそうしたものだとあちらは言いたいのではあろうが、こちらはできることならそんな難行苦行はやりたくない。

楽しく安全にできればそれに越したことはない。

総合先導役の場合はとてつもない課題で責められて青息吐息、やっとの思いでの参加であったが、その背景にはすさまじい仕組みの仕掛けがうごめいていたのであった。

底闇宇宙から代表セットが出現し、縄文の魔神体制の調整が進行していくという、大展開が演出されていったのであった。

富士山登山の集いとはおよそかけ離れた老人会でしかなく、山頂まで到達したのはたった五名、四十三名ほどはそれぞれの思いのまま、

適当にお茶を濁してしまっているわけで、登山とはおよそかけ離れた集いであるが、問題はそんなところにあるわけではない。

伏魔殿側が恐れまくっている内容がそこには隠されているわけである。

殺されそうになっている者もあるなかでの集いであるが、熱心な会員があるのには驚かされる。

こちらは役目で仕方なくやっている感じでしかないのであるが、会員各自の中にはやむにやまれぬものがそれぞれにあるのであろう。

ご苦労さまですとねぎらうことぐらいしかこちらにはできないのであるが、来年もまたやりたいという思いが湧いてくるから不思議である。

 この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。




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