02.求道のあかし

求道のあかし 令和5年6月1日

五月の月例会の講義で、仕組みが大きく拡大して総合先導役の立場が六の七台を超えて、七の五台まで上がってしまったという解説をしておいた。

ところがそのあとすぐにまたいつもと同じように新しい廃墟が現れてしまった。

その廃墟は膨大なもので、そこまでの廃墟を一つの島として扱うような領域で、その大きな島が果てしなく外に横たわっているといった状況であった。

 

八十代の十年間でケリをつけることができるのではないかといった思いを抱かされても、圧迫される苦しさが増すばかりなので、おかしいと思いながらセッセと浄化活動を続けていくと、まもなく新しい外の廃墟の実態が現れてきたのであった。

いつものことであればそこからさらに仕組みを拡大させていける楽しさに精力が増したものであったが、今回は逆で苦しさばかりが押し寄せてきたのであった。

そして七台に上がっていたはずのレベルが再び元の六台に戻ってしまっていたのであった。

 

ところがそれで元の木阿弥になったかと思いきや、しばらく浄化活動を続けていくと、再び七台にレベルが上がるのである。一歩前進していたのである。

今段階での浄化活動は無源に対応しての作業が多く、そのことが原因ということになるのではないかと思われるが、果てのない無源が機械操作をし続けているので、結果として機械を排除することが無源の復活につながってしまう。

そしてこちらのレベルが上がっていくのである。

無源が宇宙活動をし続けていった到達点が機械文明であったということのようなのであるが、いかにもそれは生命体の発展した姿であるように見える。

 

しかし生命体の側から見てみると、機械生命はおぞましい妖怪でしかないのである。

アメリカ映画で登場するアベンジャーズはとても美しい生命体とはいえないばかりか、おぞましい化け物でしかない。

科学者たちはそれを新人類と評価してそちらに人類を引っ張っていこうとしている。

そうした耐えがたい思いを抱きながら毎日の仕組みの仕事をしているのであるが、そうした宇宙を作り上げてしまった過去の科学者たちは、そのおぞましい結果を目の当たりにしながら、それを持て余してしまっている。

 

機械まかせにしてしまったツケが重くて、廃墟化した膨大な無源宇宙に埋もれて責任を取れないまま、眠り込んでしまっているのである。それを起こして責任を追及すると逃げ回って隠れてしまい、その苦しい思いをこちらに押し付けてくる。

その苦しさはますますひどくなるばかりで、結局その責任は発生の源にあるということにするしかなく、そちらとの対応になっていくわけであるが、そちらはそちらで自分で創ったものに圧倒されて、何もできないままである。

果てのない廃墟の大掃除と、おぞましい化け物の世界との戦いをしなければならない正統派の仕組みメンバーこそいい迷惑で、自分たちが作ったものではないものの処理をしなければ、自分たちの世界で生きることもできなくなってしまっている。

発生の源に頼ることのできない正統派は、とにかく自分たちのまともな世界を再構築していきながら、機械が破滅させてしまった源の立て直しをすることで、新しい宇宙を生きていくしかない。

それしか正統派の生きる道はないのである。無限に続く廃墟には果てがないけれども‥‥。

この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。




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