十巡目の一
たけり狂ったナポレオン、心得くらいは自分も知っているし、そんなことぐらいで剣が使えるわけがない、そんな感じでアメリアと向かい合った。
そしてたちまちひっくり返されてしまったのであった。悔しくて泣き出したナポレオンに対して、仕組みの剣はまだ無理だから、普通の武術をためしてみたらどうか、と導師がとりなした。
そしてそちらの道場を回り始めたが、そちらでは五段までの実力があるとの認定がなされた。もう少し上までと誘う剣士の申し出を断って、ナポレオンの武術のトレーニングは終わりになった。
帰ってからのことであるが、アメリアに負けたことに合点がいかないナポレオン、なぜかとこちらに問いかけてくる。
中に魔物がいるからで、それを打ち負かすのが先なのだと教えると、やっているけれどもできないのだという。
それならいつものようにアメリアと二人で、今度は中の自分を捨て抜く瞑想をするようにと教えると、素直にすぐ取り組み始めた。
ナポレオンからは三頭のオロチが、そしてアメリアの中のメデューサが金毛九尾とオロチに分離して、外に抜け出していった。
楽になったと言って出てきた二人は、もう結婚式が待てないのであった。
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十巡目の二
二人部屋の共同施設では治まらなくなったナポレオンとアメリア、富士山の拠点には仕組みの戦士用の夫婦の住宅もあったので、事実婚ということで戦士住宅に入居することになった。
富士神界に届けを出せば許可されるということで、式を待たずに彼らは夫婦生活に入ったのだった。
六月二日(十九日目)は二度目の術界の星へ、ナポレオンは五十名の仲間と共に出かけていった。今度は人文系の学術界であった。佐田賞のジョンソンさん達が同行していた。
そこは言ってみればノーベル賞級の学者ばかりで構成されているような領域で、アメリアに多少の関心があるくらいで、ナポレオンは武術がやりたくてウズウズしているといった感じであった。
そちらでは問題が起こることもなく、研究室とか談話室を五百か所も巡って終わりとなった。ナポレオンに人気があってのことか、所定の時間を二時間も過ぎた午後五時の帰還であった。
そして二人はそそくさと新居へ向かうのだった。
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十巡目の三
六月三日(二十日目)は仕組みの会の研究会であったため、佐田が一日中こちらの仕事に追われていたことと、夜になってからは別の関心事に時間のほとんどを奪われたため、ナポレオンの四十九日行がおろそかになってしまった。
その日は術界の芸術領域へ行ったはずであったが、アメリアは興味を示していたが、ナポレオンはほとんど無関心であったこともあって、こちらはあちらの導師方にお任せして、自分の生活レベルのことに専念したのだった。
それが悪かったのであろう、その夜は仕組み全体が混乱状態となり、そのあおりを受けてナポレオン組も支離滅裂になってしまったため、夜中に起こされて調整することになったのだった。
その過程で富士山にある佐田の幽界の私有地に問題があると感じられたので、その場所を移すことにしたのだった。
だいたい河口湖の浅間神社の背後にあるその拠点は、元々佐田には無断で作られたもので、事後承諾の形のまま、ほかの拠点が全部解消されたあとも、どうしても必要だからということで残されていたものだった。
そこに何があるのかすらほとんど知らないものであったため、仕組みがここまで進んだ段階では不適格なものになっていると思われた。
総合先導役の私有地というものが仕組みに必要であるのなら、改めて必要な場所にそれを確保しましょう、そういうことになって、改めて佐田の私有地を幽界に確保することになっていったのだった。
そして、日本に十か所、世界に五十か所、太陽系に五百か所の佐田の私有地が、公共的なものとして確保されたのだった。
それを佐田の公共私有地と呼ぶことにしている。
自分のものではほとんどないからである。そして富士山のものは、佐田宇宙のはじめ宇宙が対応している、忍野の浅間神社の周辺の幽界に移されることになったのだった。
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十巡目の四
佐田の公共私有地が即移転ということになったので、ナポレオンの六月四日(二十一日目)の四十九日は予定を変更して、仕組みの戦士達のいるつぬぶて山の探訪に切り替えられた。
日本に五十か所、世界に五百か所あるつぬぶて山は処刑場であるが、仕組みのために働く戦士達の拠点でもあるので、親交を深めておく必要があるとされたからであった。
というのも四十九日後の新居を、つぬぶて山の一つであるシシリー島のエトナ山に置くことになっていたからである。
そしてその日は九州にある五か所をアメリアと二人で巡ることで終わりとなった。
急ごしらえのテント生活となっている忍野の公共私有地の仕事もあったが、ナポレオンの四十九日の正式な課題としての扱いということになったため、二人は大喜びで巡っていったのであるが、それに関しては妬みからくるかなりの批判が渦巻いていた。
事実婚の新婚生活と四十九日行のために、公共施設の突貫工事などで大忙しの状況下で、そうした新婚旅行のような行動をさせることには問題がある、との思いが拠点作りのメンバーにはあったからである。
それでも二人はみんなの言うことを聞かずに突進しようとするので、担当の導師方が無理やり引っ張り込んで、公共施設の突貫工事の手伝いなどをさせるのだった。
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十巡目の五
六月五日(二十二日)は術界のスポーツ領域へ出かけることとなり、ナポレオンは五十名のメンバーと共に朝十時、忍野の鐘山の滝で禊をしてから出かけて行った。
スポーツ領域にはたくさんの施設があったが、ナポレオンは武術関連の体術とかヨガくらいにしか興味がないようだった。
オリンピック競技などはクーベルタン男爵が案内したのだそうであるが、ただ見学するだけで終わったらしい。
舞踊部門では多種多芸のアメリアが興味を持って見て回っていたが、結局彼女の趣味は一般レベルのものでしかなく、地球でやればいいということで、残りの時間はナポレオンの武術のトレーニングに費やされたのだった。
とにかくナポレオンは剣士に特化しているようなところがあって、それ以外にはほとんど関心がないようだった。
革命家としてはそれで十分なのかもしれなかったが、こちらから見るとそれは地縛化している状態であるようにも思えるので、もう少し人間としての幅を広げてもらう必要があった。
というのも彼はただの革命家ではないような背景があったからである。仕組みの奥に深く繋がっていて、それをこなすためには武術一筋ではこなせない感じがしたからである。
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十巡目の六
六月六日(二十三日目)は佐田が富士山忍野の別荘へ行く日であった。この日に結婚式をすることになっていたのであるが、二人が事実婚で先に生活をし始めたため、先送りになっていた。
ナポレオンの四十九日が終わってから改めてエトナ山あたりでということになっていた。そのことは両者の背後の皆々の同意が得られていて、止むを得ないこととされていた。
そのことより問題は、佐田の公共私有地が忍野に移されたことのほうにあった。旧体制側が佐田の私有地を共有しようとしたからであった。
どこでもそうであったが、以前の場所でもあちらに勝手に共有されて乗っ取られてしまうので、それを打開するために移転させた事情があったのである。
だからこちらにその意志はないと突っぱねたところから、大混乱が巻き起こってしまったのであった。
そのためこの日のナポレオンの四十九日はかなり遅れて、午後の二時三十分出発になってしまった。
中止しようとしたのであるが、遅れることに関してはよくあることだし、どうにでもできるので強行したほうがいいということで、術界の工芸領域に向かうことになったのであった。
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十巡目の七
工芸は芸術領域に入るのかもしれないが、一般生活レベルのものなので別扱いとなっている。
珍しいもの素晴らしいものがたくさんあって、感心しながら二時間半ほどかけて見学して戻ってきたが、いつもと違って墓場に下りて、改めて無限回帰してから拠点に帰ってきた。
どうしたのだろうと確認してみると、ナポレオンのレベルが上がっていた。八合目から九合目に上がっていて、巣くっているオロチの頭が五本に増えていた。
本物かどうかの確認をするために、佐田の矯正エネルギーを外したところ、ナポレオンは狂い回ったが八合目に降ろすとこなせるので、そこから自力で九合目へと上がってもらおうとしたが、うまくいかないのでやむなく矯正エネルギーで調整するしかなかった。もちろん本人同意の上でのことである。
アメリアもメデューサのレベルが上がっていたので、二人で瞑想室で調整してもらわなくてはならなかった。
いつものことではあったが、彼らは特別扱いされていて、それが仕組みの深いところに繋がっているので、こちらはその調整をするのであるが、周辺ではそのことがよくわからないらしく、そうした特別扱いにはかなりの不満があるようだった。
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