02.求道のあかし

求道のあかし 令和3年10月1日

富士山仕組みの会の集い

今年から始まる新しい形の富士山の浄化の集い、今月はそのことにかかわる佐田の思いを文章にしておきたいと思います。

三十四才で仕組みの先導役として立たされてから、今年で四十四年になります。長い年月であり、波風の強い仕事でもあって、やっとの思いでここまで来たというのが正直な感想です。

年と共に身体も変化し、疲れもひどいし老化も感じ続けていますが、まだまだ十年以上もこの課題を背負い続けなくてはなりません。

何もわからない初期の頃には、仕組みの皮がめくれてくるたびに、物珍しさや課題の大きさ、あるいは日本を中心にした縮図と地球世界の対比の面白さとか、それが宇宙へと広がっていく素晴らしさに感激していたものでした。

担当している神界コースの仕組みに関しては、早々とその課題をこなすことができた満足感はありましたが、完成できない失望感も味わってきました。

最近では、果てのない無限の空間というものにも慣れてきて、終わりのない仕事に耐えられなくなりながらも、この命が終わるまでは投げ出さないで生き終えようと、自らを励まし続けてがんばっております。

そう言わなければならない困難な仕事で、代われるものなら代わりたいと思い続けてもきていて、代わりのいない辛さを耐えなくてはならないため、溜息をつくようにそうした言い方をせざるを得ないのが現状なのです。

しかし無駄事のような浄化活動や仕組みの仕事は、四十年以上も続けてくると、それなりに成果も上がってきており、今後の人生、さらにはその後の生命活動を投げ出さずに続けて行けば、とてつもない結果が出るということも言えるようにはなりました。

具体的には私が目指してきた宇宙の発生の源が、ないと言われながらもそれを復活させることができるようになったし、それをどんどん広げることができてもいるからなのです。

そのことは仕組み活動の大成果として宇宙に誇ることができる現実だし、これからもどんどん大きくすることができる夢でもあるのです。

それがここまで活動を続けてきたことの結果であり、その満足感はもはや否定することのできないものともなってきました。

そしてそれが大きくなればなるほど敵の勢力が増してくるし、妨害も激しくなるわけで、それがきつくて投げ出すことにもなりかねない、そういう反対現象が現れていることも確かなことであります。

仕組みの会の一年間の総決算とでも言える富士山での集いは、そうしたことを踏まえた上での仕組みメンバーの課題、そしてその成果を見据えて取り組まなくてはなりません。

気負い過ぎず、舞い上がらず、人間としての立場で謙虚であらねばなりません。集う仕組みの会のメンバーは少なくても、たくさんの宇宙の仕組みメンバー方が集う舞台でもあるからです。

 この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。




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