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佐田グループの完成宇宙というのは足つきの宇宙である。
足つきとは往路ということであるが、簡単に言うとそれが旧体制宇宙であって、新体制は復路の宇宙ということになっている。
欲望を追求して機械化し、自堕落に堕ちてしまっている世界を正して、まともな世界に作り変えながら無源回帰する宇宙のことであるが、これが簡単にはいかないのが現実である。
無源の意思が旧体制宇宙を捨てようとはしないからである。だから復路の世界でも旧体制が残ってしまう。
三七から七三へ、エネルギーのバランスが切り替わるだけで、プラスとマイナスのエネルギーの責めぎ合いは激しく続くのである。
復路の宇宙を嫌って往路の宇宙を作り続ける無源の意思と戦いながら、新体制側は発生の源へ向かって正しく生き続けなくてはならない。
それがいかに難しい行程であるかは、実際に仕組みの現場に携わった者でなければわかるまい。
いかにレベルが上がっていても、潰されて旧体制側に持っていかれてしまう宇宙がゾロゾロ出てくるということは、いかに無源の意思が強いかの証明にはなっているのだろう。
それでも正統派は正しく無源回帰する新体制の道を貫かなくてはならない。
そうした仕組みメンバーの前に、今回の記事のような無残な形が現れてくるのである。仲間内から旧体制側のメンバーがもろに姿を現わす。
往路と復路では立場は逆転するのであるが、それでも旧体制側のほうが有利な展開になるのは、無源の意思がバックにあるからである。
その治外法権的で圧倒的な意思の存在を、佐田は鵺(ぬえ)と呼んでいるのであるが、佐田グループの中にもその鵺組織のメンバーが三分の一はいる。
天皇家の周辺ばかりではなく、世界のあちこちに彼らは配置されていて、仕組みの進行を阻もうと仕掛けてくる。
幸い今はまだ正統派の勢いのほうが強いので、彼らは復路の世界に引きずられていくしかないのであるが、その陰で彼らは快楽の極みを尽くし続けていくのである。
これを書き続けている今でも、そのほうがずっといい、という声が聞こえてくる。そういう彼らにも無源回帰の道は開かれている。
完成宇宙にはそうしたシステムが備わっているのである。いかにも旧体制宇宙に都合のいい形ではある。