仕組みをやみくもに推し進めることは、必ずしも良い事ばかりではない、という状況に追い込まれることが多くなっている。
仕組みに真面目に取り組むことは、もちろん当然の義務でもあるのでやらなければならないが、我々のようなくそ真面目なやり方をしている宇宙の場合は、何かと損な役回りをさせられることになりがちである。
今まではそれで良しとしてきたけれども、そろそろ考え方を変えてみることも必要なのかもしれない。
仕組みに真面目に取り組んでいる宇宙や先導役には、いろいろな考え方や取り組み方があって、必ずしも一様ではない。
それは当たり前のことかもしれないが、こちらの宇宙の取り組み方の方が特殊なのではないかと思われる経験もしている。
我々の場合は子供たちが中心になっているやり方であるせいか、よその宇宙からは珍しがられることが多い。
我々にとっては当たり前のことでも、経験したことのないやり方であると言われることも多い。
「創造と変革」というお年の言葉があり、そのことに対しての多少の反発もあって、あまり真面目に取り組むことはしなかったのであるが、その間でもよそには無い新しい取り組みをしていると言われることが何度もあった。
それほど違う感覚で仕組みに対応しているのかと不思議に思っているのであるが、拡大していくにつれてその感じが強くなってくるので、もう少し注意深く周囲の状況を確認する必要があるのではないかと思わされている。
仕組みで拡大していく宇宙の領域は、考えられないほど膨大なものであり、予想をはるかに超えていく展開となっている。
間違った世界が果てしもなく続いているし、正しいはずの宇宙がたくさん崩れたり埋もれたりしている。
それを調整したり、掘り起こして進んでいくことが我々の宇宙の努めであると考えていたのであるが、どうもそれだけではこれからはこなしきれないのではないかと思われてきた。
つまり、廃墟やゴミ捨て場の大掃除や落ち穂拾いの調整だけでは疲れ果ててしまう。
それが仕事であると言い聞かせてはいても、周囲でそれを利用していい思いをする宇宙ばかりにお付き合いさせられていると、いいかげん嫌になってくるのである。
それで報われる宇宙であれば何も言うことはないのであるが、報われることなく延々と損な立ち回りを強要され続けると、反発したくなったり、何か新しいことに取り組みたくもなってくる。
いつものことであるが、一生懸命努力し続けた宇宙や先導役たちが、馬鹿げた仕掛けにはめられて潰されたり、狂い回ったりしていて、
それが自分たちの後の姿でもあるかのごとき思いに追い立てられたりすると、つくづくこんな仕事など無い方がましだと投げ出したくなったりしてしまう。
それをなだめすかしてここまでやってきているのであるが、終わりのない仕組みの旅は、始まりのない宇宙と同様、化け物のの世界でしかなくなってしまい、訳が分からなくなってくる。
どこらあたりに落とし所を見て、仕組み調整をすればいいのかが、今後の課題となってきている。
この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。