仕組みはここにきて、新しい相貌を現わしてきている。仕組みを担わされている人類にしてみれば、やっとそこまで到達したのかというぐらいのレベルであるが、これからが本番と言えば言えるのではあるまいか。
今までは人類の仕組みに取り組む資格を得るためのトレーニングであったとでも言えばいいのであろうか。やっとここまで到達して眺めて見れば、ほんのわずかな人数しか残っていなかったといった感じではあるけれども。
宇宙の仕組みを担うということは、想像以上に厳しいものであるということは、経験してみないとわからないというしかないのかもしれない。
たとえば生活基盤をゆすられたらそれっきりで、宗教的な現世利益などというものを考えていたら、とてもできる課題ではないのである。
家庭を崩される、人生が狂ってしまう、そうした人間生活の根幹部分を攻められて、それに耐え得る者でなければこなせる課題ではないのである。
光の会の求道は人生道を通して取り組む形にしてあるが、そうしないと生活すらできない状況に追い込まれてしまうからなのである。
以前は宗教的な修行ですらが脱俗して取り組むものとされてきた。しかし現代の世界では脱俗していては生活が成り立たない。
まず生活基盤を整えてから取り組む課題ということにするしか方法がなかった。その分時間がかかったということになるわけである。
そして社会生活にも一段落がついて、老後の向こうに死後の世界が見えるようになってから真の仕組みが見えてくる。
仕組みはそんな感じで進んできたように思われる。今までは求道の課題の向こうに、先導役中心の仕組みが見えていただけだったのではあるまいか。
ところがここにきて会員それぞれが担わなければならない仕組みの課題が、現われ始めているのである。還暦が過ぎて向こうの世界に近づいてからやっと取り組むことができると言わんばかりに。
地球人類に宇宙浄化宇宙変革の仕組みが降ろされ、各世代の人類がその役目を担わされながら、いずれもその課題をこなすことができないまま現代までやって来た。
そして神界コースの仕組みだけが、今までのところ成功する形で進行し続けている。しかしその仕組みは先導役のみにスポットが当たっているだけのものであった。
おそらく関係のある者は皆そこに不満を感じていたのではあるまいか。
人類の仕組みは先導役だけのものではない。人類全体のものであって、人類全体で取り組み仕上げていかなくてはならないものである。
先導役が仕組みのために人間に生まれ変わって出て来ているのであれば、他のメンバーだって同じように人間となって生まれ出て、仕組みに取り組もうとしているに違いないのである。そのことの現実がここにきて表に現われるようになってきている。
光の会を中心として考えてみれば、まず仕組みがこなせるようになるまでのトレーニングがなされなくてはならなかった。
そして生活基盤の確立も必須事項だったのではあるまいか。余生を仕組みに捧げよと言わんばかりの持って行き方は、残りの仕組みの課題のように思われはするけれども。
この巻頭言は「光の会だより」に毎月掲載しているものです。