02.求道のあかし

求道のあかし 令和3年9月1日

太陽系の奥に本体の太陽系がある。

それが佐田宇宙の本来のエネルギーで構成されている本体であるということが判明してから、自分の身体に自分の本体をみなぎらせるような感じで、そちらを目指すようになってきている。

最初はほとんど届かない感じであったが、最近ではそこに届くようになってきている。

そしてその奥には本来の源があるというイメージがあるので、それをよみがえらせようと瞑想するのであるが、それをやるとすざまじいものが動いていく。

我々の本体のエネルギー体に物質人間の身体が被さっているように、太陽系にもそうした被り物が重たく積み重なっているのであるが、浄化の瞑想を続けていくとそれが剥がれてきれいなエネルギー体が現れてくる。

 

しかしそれは長くは続かない。周囲の膨大な廃墟のヘドロがすぐに覆い被さってきて、重く暗く埋め込まれてしまう。

それはほとんど徒労でしかないように思われるが、だからといってそれで投げ出してしまえば、そこですべてが終わってしまう。

行き着く先があるとも思えないけれども、やらなければ次第に埋め込まれていくしかない。

続けて行けさえすれば自分たちの世界が保たれるので、それだけでもまともな世界を持続することができるし、食い潰されてなくなっている源も少しずつではあってもよみがえってくる。

そう考えて毎日続けているのであるが、無限を食い潰した機械体制はそれが気に入らず、徹底的にこちらに襲い掛かり、潰しまくり、埋め込もうとし続けてやまない。

機械設定ということになっているのではあろうが、そのしつこさは尋常ではない。

なぜ自分がこんな馬鹿げたことをやり続けているのか、時には嫌になってやめたくなったりもするのであるが、やめるにやめられない何かがある。それに正常化を待望している宇宙も多いのである。

自分がやらなくても誰かがやってくれるとも思いたいが、少なくとも現段階では自分以上にこの作業をこなすことのできるメンバーがいない。ということになるとその責任もあって、がんばって続けようという思いに立ち戻っていく。

 

そしてそれが自分の生き甲斐にまでなってくれば、やめるなどということより、やり抜くことに思いは向かっていく。そして潜在化している永遠無限につながりそれを表に引っ張り出そうと努力する。

その面白さはちょっと特別で、その実感も出て来始めているので、まますますやめられなくなっていく。

先日それをやったら大きな旧体制の機械が壊れて大騒ぎになっていった。旧体制の宇宙が崩壊して正統派の世界が浮き上がったのである。

みんな大喜びしたのであるが、それも一晩寝ると元の木阿弥ということになってしまうのであるが、それでも同じことを求めて何度でもやり続ける毎日となっている。

そして感じるのは、確実に自分の実力が上がっていっている。その実感は気持ちのいいもので、どこまでそれを上げることができるかが楽しみとなっていく。

老化し続けていくこの年になってそうした楽しみ喜びを感じることができるということは、何にも代えがたいものがある。

 この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。




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