富士山の佐田の拠点である忍野の別荘に行かせてくれないので、自宅で富士山調整をすることにした。
自宅のお社には富士神界に穴があいているので、仕組みの中心基地である富士山調整は常日頃からできているのであるが、現地に出かければ出かけただけのことがあるので、富士山の拠点には月に一度は出かけることにしている。
しかし妨害がひどくなると寝込まされて何もできなくなってしまうので、七月の場合も予定がこなせなくなってしまった。
そのため自宅で富士山の仕組みの拠点調整をしたのであるが、今回は自宅のカレンダーの七・八月が富士山の白糸の滝の写真となっているので、ちょうどいいということで、白糸の滝に入りながら仕組み調整をすることにしたのであった。
もちろん滝だけではなく、富士山全体の様々な調整をするのであるが、その特別調整をしていると仕組みが大きく展開していった。
そのうちの一つに稲荷神行関連の進展があったので、その件について報告することにしよう。
令和三年七月十日(土)のことであった。自宅の白糸の滝に入りながら富士山の仕組みの調整をしていると、突然被官ひとり大神がやってきて、佐田を伏見稲荷大社へと導いていった。