その日の二十時に富士山忍野の宴会を終えたとき、建礼門院組の仕組みメンバーは五十名がそろっていた。五十名とは、女二十五名、男二十五名、建礼門院と高倉天皇を含めての五十名であった。
金柑のときも、ジャンヌ・ダークの場合も、同じような展開になって進行していくので、その三派はやはりセットとして動いていくものなのだろう、と推測するしかなかった。
二十時半に最初の宴会が終わると、今度は京都御所の天皇家の宴会へと進んでいった。常日頃高倉天皇がおられるところなのだという。
そこでの挨拶回りの軽い宴会が六日の午前二時半で終わると、建礼門院の方は本拠地の山口県の赤間神宮へ帰り、就寝されたのであった。午前三時のことであった。
三日三晩の大祝宴会とよく言われるが、こちらの場合は一か所で行われる宴会とは違って、あちこちを巡っての挨拶回りであるとのこと。
何か、どこかが違うという思いがこちらに湧いてき始めていた。五十名というのは男と女のバラケの分身分体ではないかと考えられるので、そのことの調整もこちらの課題になるのであった。
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