仕組みの会による富士山創造の森研修会が今年の場合はいつもと違うので、多少そのことについての説明をしておかなくてはならない。
司祭の報告文の中にある研修会のお言葉を確認してもらえばわかることであるが、今回のものは始まりだけでまだ研修会が終了していない。
いつもと違う扱いになっているので、検証のお言葉を改めて出していただこうとしたのであるが、出そうにないのでやめにした。そこにはそれなりの意味があると考えられたからである。
そこでその意味についてであるが、富士山創造の森での研修会は今回の十回で終わることになっていた。お言葉はまだ終わらないと言っているわけで、ほとんど始まったばかりといった感じとなっている。
そのことは総合先導役の佐田としても当然のことと考えており、終わりにしたい会員との間に違いがあるということが浮き彫りになっている。
仕組みの会の活動は仕組みが終わるまでのものであって、途中下車できる性質のものではない。延々と続く浄化活動に嫌気が差して終わりにしたいのは誰とても同じことであるが、全宇宙的に見ると仕組みはまだ始まったばかりと言ってもいいほどのものがある。
ただ研修会の形式の問題と、会員の老化が問題になっているだけのことであろう。
それは年一回の仕組みの会の催事を浄化の大祭とするか、研修会とするか、懇親会にするか、あるいはもっと別の催し物とするかの問題であって、仕組みの会の浄化活動の終了を意味するものではない。
そこらあたりのことは研修会での講義でも取り上げて、来年からの展開について説明しておいたので、そちらを参照してもらえばいいことである。
お言葉に出されなかった創造の森における浄化活動に関しては、異次元的には成功していたといっていい。ただ物質レベルでの妨害にかなりの嫌がらせが入っており、そのためにいつもと違う感覚での展開となったことは間違いない。
その違いとは、今後の仕組みの展開とも深いかかわりのあるもので、浄化活動のさらなる深化を要請されるものであったと思われる。今年のテーマである「未知と自力向上」が問われた研修会でもあったのではあるまいか。
仕組みは現段階ではさらなる未知の領域に入って深化し続けており、研修会を終了させるなどといった状況ではない。さらなる展開に向かって突き進まなければならない状況なのである。
そのためにはさらなる浄化力のアップが要請されており、そのための対策が練られなくてはならない現状だと言わなくてはならない。
今回の創造の森の浄化現場では、総合先導役の働きが必要だという指示が出されていたが、会員の浄化活動に関しては佐田が出ることは禁じられており、佐田の動きは封じられているも同然の催事なのである。
それに対して佐田の助力なしでは催事が成立しないと言われては、こちらの立場はなくなってしまう。だから佐田は手伝わなかった。
異次元では相当華やかな大祭となっており、そのことは個別に出されているお言葉で確認できる。かなりの評価の高いお言葉となっているのである。物質レベルでの濁りは現状のウイルス騒ぎと同等のものだったと思うしかない。
この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。