02.求道のあかし

求道のあかし 令和2年7月1日

宇宙の広さが無限であるとした場合、その広さはどれぐらいのものなのであろうか?

このことは仕組みの仕事をし始めてから常に付きまとってきた問題である。

我々の周囲に広がっている単なる宇宙、それは一番小さな宇宙でしかないのであるが、それすらも無限といった言葉で扱われているのではあるまいか?

その我々の宇宙を抜けて外宇宙へ出たのは、二十八年ほども前のことになる。

 

当初から無限に広がる宇宙、というよりは廃墟の大きさに当惑し続けてきたが、それは未だに続いている。

毎日毎日とてつもない廃墟の大掃除をしているにもかかわらずである。

無限というものは果てがないのだから、それが当然と言ってしまえばそれまでであるが、

それだけの宇宙を作り上げるためにどれだけのエネルギーと時間がかかっているのだろうかと考えると、もうそれだけでお手上げとなってしまう。

機械の仕事でなければとてもなしえないことだろう。

 

だからといって機械に敬意を抱くことにならないのは、この宇宙があまりにもお粗末なものでしかないからである。

また機械にしてみたところで、果てしない廃墟を作り出してその整理すらできないお粗末さでは、敬意どころではない、その無能ぶりを強調しないではいられない有様であるとすれば、何をか言わんやである。

 

またそれが機械が始めた世界ではなく、機械に席巻されてしまった世界でしかないとすれば、それを許した神や人間にその非はあるわけで、その責任は重い。

機械を作ったのは我々のような物質人間であり、その機械に席巻されてしまったのは、世界を創り出した神々ではあるが、機械の暴走をとめることができなかったのはその両者であって、その原因は欲望にあると思われる。

 

機械遊びは面白い。今の世でも科学の進化に目の色を変えている人間があふれていて、その結果がどうなるかを真剣に考える者は少ないようである。

自然の反発も機械に押し切られてしまえばそれまでで、結局は廃墟が広がっていくだけである。

今でも科学文明のゴミであふれかえっているが、その処理をしないまま外へ外へと広がろうとする。

 

そして果てのない廃墟が出来上がってしまう。我々が少々掃除をしても追いつかないほどのエネルギー消費である。

馬鹿丸出しになっているのであるが、もう後の祭りで、お手上げ状態になっているのが宇宙の現実である。

仕組みはエネルギー原則、後追い自殺のように廃墟からあぶくとなって吹き上がるが、それだけではとても正常化は追いつかない。

仕組み働きをする正統派のメンバーによる懸命の努力によって少しずつ整理はつけられているかのごとく思われるが、永遠の時間から見ればとても及びのつかない廃墟の連続である。

 

その責任はどこにあるのかと問いかけてみれば、それは発生の源にあるとしか言えないが、その源には自身を復元再生する能力もない。

そういう現実を前にして、我々仕組みメンバーは今後どう取り組んでいけばいいのであろうか?

 この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。




-02.求道のあかし
-, , ,