02.求道のあかし

求道のあかし 令和2年5月1日

令和の天皇が立ってから一年が過ぎた。その一年を振り返ってみれば、不幸や災難の連続だったことがわかる。

それは気の毒なくらいの激しさであるが、昔の感覚であれば、それは立った天皇に問題があるということにもなりかねない現実ではあるまいか。

即位式の最初からそのことが気がかりでならなかった。

 

立派な天皇が立つということは、それほど旧体制側にとって都合の悪いことなのかと、こちらは反対の評価をもって見ているのであるが、一般にはそう受け取ることはないのではあるまいか。

幸い現代の天皇は象徴でしかないので、一般国民がその施政をとがめることはないのであるが、その代わり政治が悪いからであるとの評価もない。

 

仕組みの立場から見たときの令和天皇は、明治以降で見ても群を抜いて優れておられる。

仕組みを守らなくてはならない元宇宙の行政府の長として、皇后と共にその働きは非の打ち所がない。

こんな立派な天皇は今までになかったのではないかと思われる。

 

明治以降だけで確認してみると、明治天皇は元宇宙の方ではないので別扱いするとしても、元宇宙の現明治神宮の方はやっとのことで立っておられる感じだし、ほかの方々もやはり厳しい評価を出さなくてはならないのではあるまいか。大正天皇以外は。

 

大正天皇は世間の評価が悪かったとされているが、仕組み的に見ると最初から優秀であられた。

その評価は変わらないどころか上昇していると思われるので、天皇家全体をあまり悪くは言えないのであるが、昭和、平成とくだってくると、やっとのところで立っているといった感じであるように思われる。

 

明治以前の大和の天皇家を確認してみると、現在御陵神行で調整してもらっているのであるが、その評価はやはりかんばしくないというのが正当なものだと思われる。

初代の神武天皇からして中国人なのか、日本人なのか、得体の知れない方だし、それ以降の天皇家にしても、まともな方は数えるしかない感じである。

 

仕組み的に見ると、男の天皇はセット女のスセリヒメをバックアップするために立っておられるのであって、直接仕組みにたずさわる必要はない。

しかし仕組みをバックアップする働きをされた方が何名おられたか、その点に関して確認してみると、ほとんどの方が失格してしまうことになるのではあるまいか。

 

おかげで大和の仕組みは総潰れとなってしまっていて、改めて大倭姫と倭姫お二方にやり直していただかなくてはならなくなっているわけであるが、それでは現代のオオクニヌシの仕組みに関してはどうなのであろうか?

 

現代のオオクニヌシの仕組みの場合は天皇家が立つわけではないので、問題は別となってくる。

元宇宙の代表は過去既に立ち終わっているので、再び立つ権利がない。別の形で仕組みを織り上げなくてはならない責任があるだけである。

その意味では現天皇家は補佐役でしかない。その補佐役としての現天皇皇后は、優れた仕組みの担当者であられるとの評価になるわけである。

 

 この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。




-02.求道のあかし
-, , ,