今回の富士山創造の森における研修会の心得として。
以前の大祭から研修会に変えたのは、十神界十大陸十惑星の仕組みの会の世界神行に対応させるためであった。
それは世界十大陸に直接出かけるためには無理があったし、実際に少人数で観光旅行的に出かけて神行をしてみても、十分な働きができないことがわかったからでもあった。
そのことから研修会も十回で終了になるという考え方が生まれていたらしく、十神界調整が終わった去年でケジメをつけようとする動きもあったようである。
主催者の佐田が不参加になってしまうこともあったので、余計そうした流れになったのではあろうが、佐田の立場としては、創造の森での研修会は来年で終わらせることができるとしても、
十神界十大陸十惑星の神行は、継続させなくては仕組み神行の意味がないので、別の形にしてでも続ける予定である。
世界神行には参加費が必要なので、老化していく会員にはその負担が大きかったり、身体がもたないということもあるのだろう。
しかし自宅で取り組むことのできる世界神行は仕組みの会にとっては必修事項なので、それをなくしたら会の意味がなくなってしまう。
ただ年一回の現地集合の研修会の在り方に関しては、問題があるということにはなるのかもしれない。
だとすれば場所を変えるとか、「研修会」を「仕組みの祭典」「懇親会」あるいは「死出の旅への門出」とか、敬老会らしく楽しいものにすればいい。
何もご大層な大事業にすることはないのである。どうせ相手は妖怪だし、我々の仕事の大部分は宇宙の廃墟の大掃除であるに過ぎない。
もっと気楽に取り組んでほしいと思うのだけれども、会員には会員の立場でのいろいろな問題があるのであろう。
それならそれで自由参加にしてもらえばいいので、必修事項であるとしても、自分なりにやってもらえばそれでいい。
義務でやらされることほどつまらないことはないので、全国集会などなくしてもいいのかもしれない。
月例会や研究会もあるので、そちらに参加してもらえればすむことでもある。
ただし、みんなで集まって仕組みの課題をこなすことにはそれなりに意味があり、それなりの成果があることも間違いではない。
十にこだわっている向きに対しては、仕組みや宇宙は十が無限に繰り返されて拡大している、そうした現実現状を理解してもらうしかない。
実際に世界の現地に出かける場合は、それが限度なのかもしれないが、もし自分が神行で世界を巡らなければならなかったとするならば、
日本の場合と同様何度でも終わらない旅を続けることになっていただろうと思われる。十は象徴でしかないのだから。
ただし老化や費用に関しては、様々な事情があることだろうから、それなりに対応してもらえばいいわけである。
ただし、そこにおかしな現実があることもお知らせしておかなくてはならない。
世界神行に参加している会員に対しては、参加費を出しただけのポイントがついているということである。お金の意味を考えないではいられない。
もちろんそれだけではないのであるが、月々出されるポイントを調べてみると、なかなか興味深いものがあることはある。
この巻頭言は「光泉堂だより」に毎月掲載しているものです。